2025年9月29日月曜日

麦わら帽子の男

変わったことがあったので記録しておこうと思う。今日、私は11時からセミナーがあり、予習が間に合っていなかったので早めに大学に行って哲学科の院生用の図書室で朝の9時頃から勉強していた。ちょうど課題の論文を読み終えて見直していたとき、図書室に麦わら帽子を被った東アジア人風の若い男性が入ってきて、あなたは哲学科の学生かと聞いてきた。そうだと答えると、5分話せないかと言ってきた。学部生かと思い、構わないよと告げたところ、私の専門について聞いてきた。簡単に答えたところ、嬉しそうに私の専門の学問領域について質問してきたので、手短に説明してやったところ、強く興味を持った様子で、面白がっていた。そのタイミングで、君は学部生なのか、と私が尋ねたところ、2021年にここの学部を卒業したあと、民間企業で働いていたが、哲学のPhDに進学したく、進学の相談をするためにここに来たんだ、といったようなことを、情熱的に、早口に語っていた。

この大学の学部出身で哲学科を志望している若者を邪険に扱ってもいけないと思い、優しく対応していたのだが、私はセミナーに備えて論文を読み直していたところで忙しいタイミングだった。そこで、だいたい5分ほど話したところで、11時にセミナーがあってその準備で忙しい、もし院生と話したいのならそのセミナーの前に顔を出してくれれば他の院生を紹介してやると告げた。そしたら彼は私に感謝の言葉を残しながら、そして自分はワンピースが大好きなんだと言いながら、嬉しそうに部屋を立ち去っていった。そうして私は11時前まで論文を読み、セミナー室に向かった。


その男は不審者だった。私がセミナー室についたとき、辺りはいささか物々しい雰囲気で、ちょうど学科長がその男を別の場所に連れ出しているところだった。てっきり誰かにアポを取って来ているのだと思っていたが、そういうわけではなかったようだ。その後全体メーリスに届いた注意喚起のメールによると、その男は哲学科の廊下を離れたがらず、しまいには警備員に外に出されたとのことだった。図書室では「ここの学部を卒業した」と言っていたように私には聞こえたが、本当に「ここの」と言っていたのか、今となっては自信がない。私が早合点してしまった可能性も否定できない。危険そうには見えなかったこと、そしてここの学部の出身者だと誤解をしていたことで、私は油断してセミナー室の場所を教えてしまった。親切な対応をしたことは、私にとっては最も安全な選択肢だったとは思う。しかし今思えば、もっと注意深く素性を確認したうえで、事務員さんのところに連れて行くべきだった。大学院に進学したいんだ、と情熱的に語ってくるタイプの不審者がいるとは考えたことすらなかった。反省している。ともかく、誰にも被害がなくて良かった。

2025年9月26日金曜日

近所の林

今日は久々にいい天気で、外にいると半袖でも汗ばむくらいの暑さだった。とはいえ風は涼しく、ちょうど過ごしやすい気候だ。私はというと昨日辺りから疲労感が強く、やる気が出ないため、午前のセミナーのあとはもう何もしないことにして、久々に無為に過ごすことにした。

ここ一ヶ月、基本的にはアパートのデスクでひたすら論文を読んだり大学の課題をこなしたりするばかりで、明らかに運動不足なので、今日から少し体を動かすことにした。手始めに長めの散歩でもしようと思い、近所の林を散策することにした。



こんな感じで、一応トレッキングルートにはなっているのだが、あまり道が整備されているというわけではない。物陰から野生動物が飛び出してきてもおかしくないような、少々ウッソウとした雰囲気なのだが、DC近郊には熊などは生息しておらず、いるのはせいぜい鹿くらいのものらしい。あまり人気はなく、木々の中で一人、ボンヤリと物思いにふけりながら歩いていると、土や木々の香りに癒やされて、少し気分が回復したような気がした。


ちょっとした川も流れていて、木でできた古橋を渡って更に進むと、犬の散歩をしている人や、ウォーキングをしている人などとすれ違った。人気がないとはいえ、近所の人達にとっては定番の散歩コースなのだろう。

この林を通り抜けたあと、少し周りを歩いて別の入り口から入り直し、別ルートで林を突っ切ってアパートに帰った。一時間以上は歩いていたと思う。この林は広くて、まだトレッキングルート全体を歩いたわけではないので、また来週にでも散策してみようと思う。

2025年9月25日木曜日

雨と霧

 DCはここ数日天気が悪く、今朝は激しく雨が降っていた。幸いにして登校のタイミングでは雨が止んでいたので歩いて大学に向かったが、湿度が高く霧が出ていた。


2025年9月24日水曜日

ビリー・バンバン

ビリー・バンバンのお兄さんが亡くなったらしい。 

https://www.youtube.com/watch?v=n8gJSjPCOtI

このビデオの後半に流れているのは、僕も観に行ったコンサート映像だ。小学生の頃から好きだった。悲しいなぁ。

2025年9月21日日曜日

部活の後輩

 大学時代の部活の後輩が駐在でDCに来ていたので日本食レストランで昼食がてら話をした。部活をやっていた頃がついこの間のような気さえしてしまうが、時が経つのは早いものだ。


右がカリフォルニアロールで左がPhillyという寿司。特にPhillyはアボカドとチーズが効いて旨かった。

Crazy toroとかいう名前だった気がする。これも旨かった。


2025年9月20日土曜日

博物館巡り

今日は学科の院生たちとDCのダウンタウンに行った。昼にラーメン屋で集合して昼食を一緒にとり、それからNational Gallery of ArtとNational Museum of the American Indianを訪れた。DCの中心街に初めてきたが、都会ではあるもののゴミゴミしてなくて過ごしやすいところだなと思った。


醤油ラーメン。味はそこそこという感じ。不味くはないのだが、微妙な苦味が気になった。玉ねぎが入っていたので、多分だけど玉ねぎの苦味が効きすぎているのかもしれない。とはいえ日本の食べ物を食べるとホッとするな。(しかし$18は高く感じる)









ナショナルギャラリー。鳥が撃たれている絵が印象的だった。あとロダンの特集があって面白かった。かなりでかい博物館で、今日は全然回りきれなかったので、いつかまた来たい。








国立アメリカン・インディアン博物館。ネイティブアメリカンの郷土資料館で、見るだけあった。土地を追われて排除されていったネイティブアメリカンたちの抵抗や闘いに関わる資料や、一方でアメリカ社会でネイティブアメリカンがいかにシンボル化されていったのかに関する展示とかもあり、見どころ満載だった。

2025年9月15日月曜日

大学近くのタイ料理屋

 今日は授業のあと、大学近くのタイ料理屋に昼飯を食いに行った。先月、学科のオリエンテーションの後の昼食会で連れて行ってもらったところで、混雑しておらず店の雰囲気も良かったのと料理も旨かったので今日は1人で行ってみた。


Pad Mee という料理を注文してみた。タイ風の焼きそばだ。甘辛い味付けで細麺と野菜・豆腐・海鮮が炒めてあり、食べごたえがあった。特にエビがデカくて美味しかった。

2025年9月11日木曜日

自転車

DCではシェアバイクが普及していて、街の色んなところに自転車のドックがある。Lyftが運営しているCapitalBike(赤い自転車)とUberが運営しているサービス(緑の自転車)の2種類があり、ジョージタウン大学の学生は格安でCapitalBikeメンバーシップ登録できるので、私も通学にはしばしばCapitalBikeを利用している。
使える自転車は電動自転車と電動ではない自転車の2種類があり、どちらも結構ゴツい。サドルの高さは割と簡単に調整できる。私の場合、サドルの高さを最低にしてちょうどよいくらいだ。ジョージタウンの近辺は、ドライバーの運転が割と安全というか、歩行者や自動車にかなり気を使ってくれる感じなので、自転車に乗っていて危ないと思ったことはない。強いて言えば、車線が日本と真逆なので慣れるまでは気持ち悪かった。
CapitalBikeの自転車は基本的には専用のドックに止めなければならないのだが、家の近くのドックは日によっては自転車が一つも残っていないことがあるし、大学近辺のドックは完全に埋まっていて停められないことが多い。電動自転車は追加で2ドル払えばどこにでも停められる(アプリがないと動かせないのでその辺に置いていても取られることはないのだろう)のだが、通常の自転車は専用ドック以外には停められず、利用時間45分を超えると時間ごとに課金されるシステムになっているので使い勝手は悪い。先週の水曜日に、近場の電動自転車がスンデのところで持っていかれてしまったので仕方なく非電動の自転車をつかったが、大学近くのドックが軒並み満パンだったのに加え、停めるところを求めてふらふらしているうちにチェーンが外れるという憂き目にあった。非電動の自転車は重くて進みが悪いし乗り心地も悪いので、もう二度と使わない。

電動自転車は楽だし乗り心地も悪くない。今後は基本的には電動自転車で通学するつもりだ。



2025年9月9日火曜日

近所の自然公園

私が住んでいるアパートと大学の間にはちょっとした自然公園が横たわっていて、車や自転車を使う場合は公園を迂回する必要があるのだが、徒歩ならそこを突っ切るのが近道だ。公園の周りは少々ウッソウとした森のようになっており、野生動物でも飛び出してきそうな雰囲気なのだが、今のところ特に大きめの動物には出くわしていない。


この林っぽい場所を抜けると、特に何も無い公園が広がっている。近所の人がよく犬を遊ばせている。



この公園を通り過ぎて林を抜けると、あとは道なりに進めば大学に着く。聞くところによると鹿はいるが熊はいないらしい。天気の良い日にはここを通って通学するのも悪くない。


2025年9月8日月曜日

インドカレー

今日は昼のセミナーのあと、大学近くのインドカレー屋に行った。14時近かったからか貸切状態で、店主も物静かながら愛想の良いインド人で居心地がよかった。マトンカレーとナンを注文したら、大盛りの米がついてきたのは誤算だった。カレー単品だと思っていたがもともとご飯とのセットだったのだろう。メニューに書いてなかったからわからなかった。カレーはトマトの風味が濃厚で美味しかった。また来よう。 






2025年9月7日日曜日

インスタグラム

TwitterにウンザリしてもうSNSをやるつもりはなかったのだが、こちらに来てから、知り合った人と連絡先を交換しようとなったときに、何のSNSもないとそれはそれで不便だということに気づいた。こちらの学生は割とインスタを使っているようなので、合わせてインスタのアカウントを作るだけ作った。といってもSNSとして運用するつもりは今のところない。このブログと連携させて、更新通知だけ投稿している、という状態だ。なので私のインスタアカウントをフォローしてもあまり意味はないとは思うが、一応アカウント情報はこちらにも載せておくことにする。もしインスタで繋がりたい人がいればフォローしてください。

https://www.instagram.com/sho_masahira/

2025年9月6日土曜日

SENE4(続き)

対面学会の醍醐味はやはり出会いだろう。うちの大学の認識論者や、認識論に興味がある院生と仲良くなれたのはもちろん、他大学の院生とも知り合えて楽しかった。また今まで知らなかった認識論者の名前を知るきっかけにもなった。あとは嬉しい再会もあった。例えば初日の二人目の発表者は、実はカリフォルニアにいたときに参加したオンライン勉強会の最初の数回に参加していた人だった。その人は確かそのタイミングで博論のディフェンスがあって、多忙につき勉強会に参加しなくなったのだが、ここで再会することになった。発表は面白かったし、その後に直接挨拶できてよかった。

カリフォルニアでお世話になったPeter Grahamとも再会した。PeterはKeynote speakerの一人で、発表はすばらしかった。内容はPeterがこれまでやってきた(伝統的)認識論の見解をもとに「AIから知識を得られるか」という問いに答えていくというもので、Peterの見解を既に知っている者にとってはそこまで驚きのある内容ではなかったのだが、とにかくクリアでわかりやすく、発表がうまい。ハンドアウトもスライドも使わず、一切の資料無しで、トークだけで1時間ずっと引き込まれる発表をしていた(その後喋った院生たちもみんなPeterの発表は滅茶苦茶クリアで面白かったと言っていた)。良い哲学の発表にはツールはいらないのだなあと思った。もっといえば、ベテランの教員でもそうだが、スライドやハンドアウトが却って内容への集中を阻害する場合が多々ある。発表ツールは発表者が楽をするためのツールでもあって、そこに発表者が寄っかかっている場合、得てして発表は聞きにくくなる。ツールを一切使うべきでないというつもりはないけれど、ツールに依拠しない発表の仕方というのは考えるべきだろうな。
ちなみに初日の最後はホテルから大学に移動してレセプションがあった。移動時間が一時間くらいあったので、Peterと二人でキャンパスに行き、哲学科の建物を案内した。しかし残念なことに私がまだ部屋の鍵を入手していなかったので、建物の中には入れたものの、いつも使っているセミナールームやキッチンなどの内装を見せることはできなかった。まぁ機能的なだけでそんなに大したものがあるわけではないのだが。

レセプションはオシャレなホールを貸し切っていて素晴らしかった。食べ物はバイキング形式だったのだが、味もしっかり美味しかった。色んな院生と喋ったが、その中に一人、2年前カリフォルニアにいたときに参加したUSC-UCLAの院生向け学会で知り合った学生がいて、向こうも私のことを覚えてくれていた。夜9時過ぎ頃に自然解散したが、Grecoの荷物を誰かが持っていってしまったらしかった。結局荷物は見つかったのだろうかと気になって後日尋ねてみたら、そんなこともあった気がするがよく覚えてない、と言われた。特に大事なものは入っていなかったのだろう。

二人目のKeynoteであるQuill Kuklaの発表は二日目にあった。Kuklaは最近はPhilosophy of Healthの研究をしているようで(大学でもHealthをテーマにした授業を開講している)、今回の発表は自閉症やADHDをhealth problemとして捉えることの倫理的問題を分析するというものだった。その中で、neurodiviresityは認識的利点を持つのだが、いわゆる標準的なあり方を自閉症やADHDの人たちに強いることでその認識的利点が失われてしまう、という指摘が興味深かった。
ところでKuklaはチャキチャキとした人で、小柄ながら存在感があった。合間合間に小粋なジョークを挟みしばしば笑いを取っていた。これはKuklaに限らずアメリカ人一般(あるいは人一般)に関する仮説だが、人々はジョークを言うときに、ちょっと小声になりしかも早口になる傾向があるように思う。話を聞いていて、急に何を言ってるのかわからなくなったと思ったら、コンマ1秒後に笑いが起こる、ということがこの学会中何度もあった(カリフォルニアにいたころもしばしば同様の経験をした)。本学会中のジョークで私が唯一しっかり内容を理解して笑えたのは、Grecoのジョークだけだったかもしれない。Grecoは喋りがゆっくりだしはっきり喋ってくれるので聞きやすいのだ(加えてGrecoのジョークは内容がわかりやすいのかもしれない)。

もうひとりのKeynote speakerはAlin Comanという社会心理学者で、会話による記憶の強化(および忘却)を主題にした発表をしていた。ひとつの事柄に関して人々が色々と異なる表象を持っている場合に、会話の中でその対象のある特徴が触れられることによってそれに関する記憶が強化され、逆に振れられなかった特徴は忘れられる傾向にあるらしく、集団内でその対象に関する会話を繰り返すことで一定の表象のパターンが集団全体に共有されていくという現象が見られるらしい。このようなメカニズムがプロパガンダが有効に働く場合の背景にあるんだ、ということが発表中に示唆されていて、なかなか面白かった。完全に経験的研究で、いわゆる「哲学」という感じではないのだけれども、社会的な活動の中で人々の認識がどう変化していくのかというのはまさに社会認識論のトピックなわけで、社会認識論というのはこのような社会学や心理学の研究とも重なるかなり学際的な分野なのだなと改めて実感した。

三日目の休憩時間に少し外を散歩した。ホテルから歩いてほど近くのところにロシア大使館があった—といっても厳重に門は閉められていて、外から中の様子は全然わからないのだが。ロシア大使館前の道路を挟んだ反対側には、私有地と思しき空き地のような土地が広がっており、その一角に、ウクライナの抵抗の象徴としてのヒマワリが、その意味の説明書きとともに植えられていた。


2025年9月5日金曜日

SENE4

先週の水曜日から授業が始まり、今日まで何かずっとバタバタしていた。忙しすぎてブログを更新する暇がなかった。平日は普通に授業があるわけだが、それとともに、先週の土曜日から今週の月曜日にかけて、Social Epistemology Network の第4回大会が大学近くのホテル(それどころか私の住んでいるアパートから歩いて10分くらいのところ)で開催されていて、それに参加していたのだ。一週間近く経ってすでに記憶が薄れつつあるが、忘れないうちに印象に残ったことを書き記しておこうと思う。



参加人数は70〜80人くらいだろうか(少なくとも50人はいた。入れ替わりも考えると総計で100人くらいはいたかも)。ホテル一階の大きめの部屋と小さめの部屋の2つが会場で、並行でセッションをやっていた。参加者は年配の教員もそこそこいたが、院生を始めとするアーリーキャリアの研究者が多く、全体的な年齢層は若めであった。発表者も院生が多く、新しいアイデアを出そうという試みが多めで楽しかったが煮詰まってない発表もそこそこあったなという印象。意外とハードルは高くない学会なのかもしれない。何にせよ、それなりに盛況かつ比較的カジュアルな学会だったので、この感じなら次回は私なんかも発表者として参加して良さそうだなと思った。

全体的な感想としては、応用的な—倫理的・政治的トピックに関わる—話題が多かったという印象。もちろん認識的不正義の発表もあったが、どちらかというと、まだあまり主題にされることがない事柄に関する新しい理論的分析を与えるとか、新しい概念を提案するといった発表が目立ったように思う。応用系の話題はこの先もっと盛り上がっていくだろうな。 
とはいえ、社会認識論の話題は多岐にわたる(Quill Kuklaが最終日の提案で「社会認識論」には少なくとも8つくらいの用法があると言っていたが、正しい指摘だと思う)。いわゆる応用的な研究以外だと、認識的な内容に関わる何らかの規範といういみでの認識的規範を対象にした研究が多かった印象。例えばinstructionに認識的規範はあるのかとか、特定の社会的立場にいる場合に適用される認識的規範についての発表などは興味深かった。
その他にも、既存の道具立てを使って新しいことを言おうという野心的な研究がいろいろあっておもしろかった。例えば初日の最初のセッションは、2000年代にガっと盛り上がったpragmatic encroachmentの流れに乗って新しいことを言うぞという発表でプレゼン自体は聞きやすくて楽しかった(もっとも、発表者のpragmatic encroachmentの理解がかなり怪しいなと思っていたら案の定質疑応答で沢山の人に突っ込まれていたが)。メタ言語的交渉を認識論に応用した発表もあってなかなか面白かった。出てくる帰結そのものについては正直驚きはなかったのだが、メタ言語的交渉のアイデアを認識論における不一致の話題にうまいこと適用したもんだなとは思った。そういう一捻りの発想が研究には大事なんだよな。

こう見ると、私が最も興味を持っているいわゆる伝統的な証言の認識論というのは、すでに流行の去った分野なのだなと改めて思った。流行を追いかける必要はないにせよ、このあたりの潮流は押さえて置かなければならないと改めて思った。そういえば三日目の朝に唯一、伝統的な証言の認識論の発表があったのだが、まぁ残念な発表だった。発表者はアメリカの大学教員だったのだが、基本的にTyler Burgeの話をずっとしていて、そこから自分の共同行為論を使えばより真っ当な見解が出せる、と言って話が終わってしまったので、結局あなたの擁護したい認識論的見解は何なのか、と質問したが全く明確な回答は帰ってこなかった。Burge解釈もあんまり深い話はしていなかったし(もっともこの発表を通して、Burgeにおける記憶の認識論が証言の認識論となかなか微妙な関わり方をしていそうだということはわかったのだが)、そもそも発表者はあまり証言の認識論を知らないのだろうな。なんというか、いわゆる伝統的な証言の認識論というのは、もう議論が煮詰まりきっていてあまり新しいことを言う余地がないと私は感じているのだが、今回の学会で証言の認識論ど真ん中にあてはまる発表がこれくらいしかなかった(後述するPeter Grahamの発表はかなり伝統的な証言の認識論を下敷きにはしているのだが直接のトピックはAIだった)ということによって、上記の仮説への確信度が強まる結果となった。


もう少し書きたいことがあるのだが、今日はこの辺で。続きはまた明日にでも更新しようと思う。

図書館

図書館で作業しているのだが、会話禁止のゾーンだというのに学生が通話をしていて五月蝿い。この辺の規範は明らかに日本より緩いよなぁ。そういう緩さは、良い面もあるのかもしれないが、静かな環境を求めている僕のような人間にとっては煩わしい。