対面学会の醍醐味はやはり出会いだろう。うちの大学の認識論者や、認識論に興味がある院生と仲良くなれたのはもちろん、他大学の院生とも知り合えて楽しかった。また今まで知らなかった認識論者の名前を知るきっかけにもなった。あとは嬉しい再会もあった。例えば初日の二人目の発表者は、実はカリフォルニアにいたときに参加したオンライン勉強会の最初の数回に参加していた人だった。その人は確かそのタイミングで博論のディフェンスがあって、多忙につき勉強会に参加しなくなったのだが、ここで再会することになった。発表は面白かったし、その後に直接挨拶できてよかった。
カリフォルニアでお世話になったPeter Grahamとも再会した。PeterはKeynote speakerの一人で、発表はすばらしかった。内容はPeterがこれまでやってきた(伝統的)認識論の見解をもとに「AIから知識を得られるか」という問いに答えていくというもので、Peterの見解を既に知っている者にとってはそこまで驚きのある内容ではなかったのだが、とにかくクリアでわかりやすく、発表がうまい。ハンドアウトもスライドも使わず、一切の資料無しで、トークだけで1時間ずっと引き込まれる発表をしていた(その後喋った院生たちもみんなPeterの発表は滅茶苦茶クリアで面白かったと言っていた)。良い哲学の発表にはツールはいらないのだなあと思った。もっといえば、ベテランの教員でもそうだが、スライドやハンドアウトが却って内容への集中を阻害する場合が多々ある。発表ツールは発表者が楽をするためのツールでもあって、そこに発表者が寄っかかっている場合、得てして発表は聞きにくくなる。ツールを一切使うべきでないというつもりはないけれど、ツールに依拠しない発表の仕方というのは考えるべきだろうな。
ちなみに初日の最後はホテルから大学に移動してレセプションがあった。移動時間が一時間くらいあったので、Peterと二人でキャンパスに行き、哲学科の建物を案内した。しかし残念なことに私がまだ部屋の鍵を入手していなかったので、建物の中には入れたものの、いつも使っているセミナールームやキッチンなどの内装を見せることはできなかった。まぁ機能的なだけでそんなに大したものがあるわけではないのだが。
レセプションはオシャレなホールを貸し切っていて素晴らしかった。食べ物はバイキング形式だったのだが、味もしっかり美味しかった。色んな院生と喋ったが、その中に一人、2年前カリフォルニアにいたときに参加したUSC-UCLAの院生向け学会で知り合った学生がいて、向こうも私のことを覚えてくれていた。夜9時過ぎ頃に自然解散したが、Grecoの荷物を誰かが持っていってしまったらしかった。結局荷物は見つかったのだろうかと気になって後日尋ねてみたら、そんなこともあった気がするがよく覚えてない、と言われた。特に大事なものは入っていなかったのだろう。
二人目のKeynoteであるQuill Kuklaの発表は二日目にあった。Kuklaは最近はPhilosophy of Healthの研究をしているようで(大学でもHealthをテーマにした授業を開講している)、今回の発表は自閉症やADHDをhealth problemとして捉えることの倫理的問題を分析するというものだった。その中で、neurodiviresityは認識的利点を持つのだが、いわゆる標準的なあり方を自閉症やADHDの人たちに強いることでその認識的利点が失われてしまう、という指摘が興味深かった。
ところでKuklaはチャキチャキとした人で、小柄ながら存在感があった。合間合間に小粋なジョークを挟みしばしば笑いを取っていた。これはKuklaに限らずアメリカ人一般(あるいは人一般)に関する仮説だが、人々はジョークを言うときに、ちょっと小声になりしかも早口になる傾向があるように思う。話を聞いていて、急に何を言ってるのかわからなくなったと思ったら、コンマ1秒後に笑いが起こる、ということがこの学会中何度もあった(カリフォルニアにいたころもしばしば同様の経験をした)。本学会中のジョークで私が唯一しっかり内容を理解して笑えたのは、Grecoのジョークだけだったかもしれない。Grecoは喋りがゆっくりだしはっきり喋ってくれるので聞きやすいのだ(加えてGrecoのジョークは内容がわかりやすいのかもしれない)。
もうひとりのKeynote speakerはAlin Comanという社会心理学者で、会話による記憶の強化(および忘却)を主題にした発表をしていた。ひとつの事柄に関して人々が色々と異なる表象を持っている場合に、会話の中でその対象のある特徴が触れられることによってそれに関する記憶が強化され、逆に振れられなかった特徴は忘れられる傾向にあるらしく、集団内でその対象に関する会話を繰り返すことで一定の表象のパターンが集団全体に共有されていくという現象が見られるらしい。このようなメカニズムがプロパガンダが有効に働く場合の背景にあるんだ、ということが発表中に示唆されていて、なかなか面白かった。完全に経験的研究で、いわゆる「哲学」という感じではないのだけれども、社会的な活動の中で人々の認識がどう変化していくのかというのはまさに社会認識論のトピックなわけで、社会認識論というのはこのような社会学や心理学の研究とも重なるかなり学際的な分野なのだなと改めて実感した。
三日目の休憩時間に少し外を散歩した。ホテルから歩いてほど近くのところにロシア大使館があった—といっても厳重に門は閉められていて、外から中の様子は全然わからないのだが。ロシア大使館前の道路を挟んだ反対側には、私有地と思しき空き地のような土地が広がっており、その一角に、ウクライナの抵抗の象徴としてのヒマワリが、その意味の説明書きとともに植えられていた。
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